White Wolf's Forest

ウルフマン 森の生活

とある小説家が山小屋で料理をしながらスローライフを目指す

保護犬の里親になるということ

 

私は大の動物好きだ。

というのも、それは家系的なことが大きく影響している。

 

なぜか私の家系は代々捨てられた動物を見つけては

拾って家族として育てるという人柄が多かった。

そんな家庭で育った私も矢張りそのようになったというだけの話だ。

 

今は薄れてきてしまっている『縁』という日本古来の感覚。

一期一会で巡り逢う、そういうものを私の家系はとても大切にしてきた。

その感覚は今も脈々と私の中に流れている。

 

私は人の死目にも動物の死目にも幾度もあってきたが、

死というものは決して慣れるものではない。

 

最後に愛犬を失ってからというものその喪失感から立ち直れず、

しばらく猫との生活が続いた。

しかし、この春、田舎への移住という変化も加わり、

再び犬を家族に向かい入れようという気持ちになることができた。

 

私は今まで偶然の出逢いによって犬や猫と家族となってきたわけだが、

そういうこともありがたいことに徐々に減ってきた今日。

それでも保健所(動物愛護センター)にはまだまだたくさんの犬や猫が収容され、

日々尊い命が失われていっている状態である。

 

次に迎える子も今までの子達と同じように、帰る家のない子達から迎えてあげたい。

考えた末に、私は保健所へ電話をかけた。

 

保健所の方はとても丁寧な方だった。

犬譲渡について現在は直接の取引はしていないとのこと。

収容所からシェルターへ〈引出された〉動物は

シェルターから譲り受けるしか方法がないこと。

そして、収容された動物が現在どこのシェルターで過ごしているかも

答えることはできない規則になっているとのこと。

私は紹介された幾らかのシェルターのホームページの里親募集の欄を眺めた。

 

迎える犬の移動の負担を考えると自然と対応できるシェルターも限られてくる。

私が見たシェルターの犬たちはどの子も高齢。

歳をとり飼い主に捨てられたと思われる経歴や立派な犬種が多く、

最後の見取りの方を募集している状態であった。

迎えて間も無く看取るというのは立ち直ったばかりの今の私には難しい。

 

まだ迎える時期ではないのか。

そう思っていた時、ある動物病院の子犬の里親募集を発見した。

 

電話に出た獣医はとても気さくに私の話を聞いてくれた。

募集を出していた子犬は幸いにも里親が決まり現在はもういないが、

この春再び同じ親から子犬が生まれるという。

なんでも、野良の母犬は非常に利口で、

保健所の職員が捕獲に手を焼いているそうだ。

母犬は捕獲の手を逃れ、

毎年子犬を産んでは姿を消すということをもう何年も繰り返しているらしい。

 

それもそのはず、募集の子犬はボーダーコリーのミックス。

つまり、最も利口だと言われる犬種が母犬に入ってるのだ。

簡単に捕まるわけがないのも納得がいく。

 

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*The photo is for illustrative purposes.

 

その獣医は友人がボランティアで行っているシェルターの動物を診ており、

子犬の里親募集もその手伝いで行っていた。

私は獣医に譲渡に関しての必須事項を確認し、

この春生まれる子犬を機会があれば譲ってもらえるよう願い出た。

 

毛が長い子が来るのか、短い子がくるのか。

垂れ耳なのか、立耳なのか。

どんな柄の子が来るのか。

 

雑種のためそこに関しては選べないと言われたが、

私にとってはそれもまた楽しみの一つだ。

 

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同じコリーMixでもその子によって雰囲気は様々

 

青い空に桜の花弁が舞う。

嗚呼、春の終わりが待ち遠しい。