White Wolf's Forest

ウルフマン 森の生活

とある小説家が山小屋で料理をしながらスローライフを目指す

性別の垣根

書きたいことは多いのだが

なんせ時間がないのが心苦しい。

 

ブログもご無沙汰になった上に

購入してあった映画もなかなか観れずじまい。

余暇や娯楽の時間が全くなかった。

 


 

さて、ようやく

3本中の2本目、

リリーのすべて(原題:The Danish Girl)を

鑑賞し終わったわけだが。

 

 

 

こちらも

前回書いた『博士と彼女のセオリー

(原題:The Theory of Everything)と同様に

 

 

ファンタスティック・ビースト

(原題:Fantastic Beasts)の主人公

ニュート・スキャマンダー役を務めた

エディ・レッドメイン主演映画。

 

 

 

いやはや、この俳優の演技力は凄まじい。

 

今回も

トランスジェンダー(LGBTQ)により

性の不一致に悩む男性を見事に演じきっている。

 

 

この映画で最も衝撃的だったのは

放射線』が万能の治療だとして

過去に使用されていたことがあったと言うことである。

 

昔の精神科の治療は

今で見る拷問のようなものも多く、

そういった手の話も知ってはいるものの、

今回の話には驚いた。

 

生殖器への放射線照射のあと

「(僕の中の)リリーが悲しんでる」と口にする主人公。

その言葉がとても胸に響いた。

 

リリーは主人公の本当の姿である、

“女性の性”を指している。

 

 

それから、今は使われない

“精神分裂”という疾患名。

 

この当時は

精神分裂と診断されると

閉鎖病棟へ強制収容、といったところだろうか。

だから主人公は精神科にいけど、

“精神分裂”と診断されると

窓から逃げていたのだろう。

 

この当時の閉鎖病棟

現在のとは環境がかなりことなっており、

とても病棟とは言えないものだった。

日本はそのイメージがまだ強いのか

精神科や閉鎖病棟という言葉に拒絶反応を起こしやすい。

 

そういったことから

日本ではこの映画は

見る人によってはこういった誤解を招いたり

偏見を植えつける可能性もあるだろう。

 

 

 

この映画で一つ言えることは

この時代から性の不一致に悩む人がおり、

本来の性になることに

とても苦労していたということだ。

 

そして、性の不一致は昔も今も

当事者にとっては

自身の人生や命をかけなければならない問題である、

ということである。

 

 

LGBTQの問題に触れる度、

性別の垣根はどこに存在するのかと考える。

 

同性であれ、異性であれ、

そこにある“人を愛する気持ち”や

“相手に向ける愛情”はなんら変わりない。

 

同性であれ、異性であれ、

友情の中に流れる愛もまた

愛の形の一つである。

 

ならば私たちと

LGBTQの人たちは何が違うのか。

 

そんなことを考える。

 

 

 

 

 

余り物で作った炒飯(チャーハン)。

油控えめのため胃もたれの心配無用。

 

時々はこういうのも良いな。