White Wolf's Forest

ウルフマン 森の生活

とある小説家が山小屋で料理をしながらスローライフを目指す

他者には測れないもの

 

深夜零時という筆名と

有名になりすぎた私のもう一つの筆名。

 

この名ではない筆名は

自分で言うのもなんなのだが、

贔屓にしてくださる方々がいる程度には知名度がある。

 

最近こちらに顔を出せなかった理由も

もう一つの筆名の方の執筆が忙しかったからだ。

 

いや、現在進行形なのでここは

「まだ忙しい」が正解か。

 

 

名が知れ渡るほど悩みは深くなっていく。

 

この内容で本当に伝わるのか。

こんなクオリティーで良いのか。

もっと自分にできることはないのか。

 

自問自答は永遠に続く。

 

このような考えは

時々自らの足枷となって

自由に飛ぶ翼を奪う。

 

「有名に慣れば好きなことが書ける」なんて戯言だ。

 

 

 

それ以外にさらに頭を抱えるのは

ありもしない言い分で責め立てる人々がいることである。

 

名が知れ渡りすぎると

見ず知らずの人間に

ありもしないことで非難されることも多い。

 

首を縦に振ろうとも横に振ろうとも

どちらにせよ八方塞がり。

どんなに言葉を選んで尽くそうとも

どのみち非難を浴びる。

 

私の過去についてありもしない事柄を並べ上げ

架空の人物像を作り上げて

失脚させようとする手口にはもう飽き飽きだ。

 

会ったこともない

ましてや、話したこともない人間に

何故そんな感情を抱くのだろうか。

恐らく私は一生その気持ちは理解できないだろう。

 

言葉や文字は鏡だ。

 

紡いで形にした言葉や文字は

いつか自分へと返ってくる。

 

綺麗な言葉、汚い言葉

美しい言葉、醜い言葉

優しい言葉、辛辣な言葉

暖かな言葉、冷たい言葉

 

全て己に返ってくるのだ。

 

 

 

ここは静かだ。

人にとやかく言われずに文字を紡げる。

 

私が羽を伸ばして話せる唯一の場所。

 

ここは私の憩いの場であり

安全地帯。

 

 

誹謗中傷により命を落とす人間が増えていく今日、

三浦春馬さんやが神田沙也加さんが

自ら命を経ってしまったのは記憶に新しい。

 

嗚呼、将来があり実力のある

若き命が経たれることは悲しきことだ。

 

 

幸せは他人が決められるものではない。

 

 

側から見えてうまくっているように見えても、

能力があり、実績があり、成功した人生に見えたとしても、

逆に、全く恵まれていない側から見たら

悲しい人生であったとしても、

本人がそれに対してどう感じているかは解らない。

 

 

苦悩や悩み、辛さや痛みといった負の感情は

人間として道徳心をわきまえていればいるほど

表に出すことは少ないのが普通だ。

 

 

人間は結果ばかりを見て評価する生き物だ。

その過程や工程には目も触れない。

 

 

何も考えず、ただそこに出てきた結果だけを見て

全てを決めつけて話してしまう。

 

 

本当に大切なものは目には見えないとも気づかずに。

 

 

 

大切な数少ないものをこの両手から零さぬように。

心の炎を揺るがさぬように。

 

騒音の中で自分を保ち、

ただ静かに自分らしく生きることが

この世界では最も難しいことなのかもしれない。

 

 

 

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今日の夕食。

豚丼、干し大根と卵コーンスープ。