悲しきかな、死に直面するということは。
人が亡くなることは
悲しきこと。
核家族化が進むのと同時に、
人の死に目に会うことも
少なくなった。
元総理が亡くなった一件で
この上なく心を病む人が増えている。
政治家は
日常でほとんど会うことのない人物。
写真や動画でのみ会う人物という人も
少なくなかろう。
これが
隣の席に座る
毎日顔を合わせる人物であったなら
どんな気持ちだろうか。
もし、
明日また会えると思っていた人物が
明日この世にいなかったとしたら。
朝 見送り、
「ただいま」の声が聞けると思っていた人物が
もう帰ってこなかったら。
どんな気持ちであろう。
死因がどうであれ、
画面越しの人物が亡くなったことに
これだけ心を痛める感情が
まだ人間に残っているのならば
どうか、他の死たちにも心を寄せて欲しい。
今、この瞬間は永遠ではない。
生は気まぐれで気分屋。
そのため別れは思わぬところで突然やって来る。
「またね」は
確約されたものではない。
「また会いたい」という
人間たちの淡い希望。
それが言語化されたにすぎない。
どれだけの人が
日常で自身の生を考えて生きているのだろうか。
肉を買い忘れた者の末路。
悲しくも肉なしの
玉ねぎ、卵、ニラのみの炒飯(チャーハン)。