White Wolf's Forest

ウルフマン 森の生活

とある小説家が山小屋で料理をしながらスローライフを目指す

桜と梅から桃がなる

 

狼森は前オーナーが植えた木々がたくさん存在する。

 

昨年の春はそれらに大いに楽しませてもらった。

 

 

shinya-leyzi.hatenablog.com

 

 

shinya-leyzi.hatenablog.com

 

 

 

昨年の花の後、

その中の一つの木に

何やら実がぶら下がってることに気が付いた。

 

 

この桜だと思われていた木。

 

 

f:id:Shinya_Leyzi:20210514120713j:plain

 

 

君は梅だったのか。

 

 

そう思ったが、何かが違う。

 

 

ニオイや形は梅に似ているが、何かが違うのだ。

 

 

1つ取って割ってみると

どうやらこれは梅ではなく桃のようだ。

 

 

f:id:Shinya_Leyzi:20210711201209j:plain

 

 

同時期に森の中のこの梅だと思われた木にも

同じ実がたわわに実った。

 

つまりこれらは梅のように見えたが

実は桃だったのだ。

 

f:id:Shinya_Leyzi:20210514121016j:plain
f:id:Shinya_Leyzi:20210514121117j:plain

 

 

「花が楽しめさらに桃が食えたら最高ではないか」と

大きくなるのを待っていたが、

夏場 雨も多く虫も多かったため

結果的に大きくなることはなかった。

 

黄緑色から黄色になり

一部ほんのりとピンクに色付いたかと思えば

そのまま全て落下。

 

落ちた実の香りは正しく“桃”そのもので

その甘い香りに蟻が群がっていた。

 

 

桃の栽培は難しいのだろうか。

それともこれは花を鑑賞するための花桃だったのだろうか。

 

今年の春、再びよく観察しようと思う。

 

 

 

 

www.amazon.co.jp

時は金なり、命なり。

今週のお題「自分に贈りたいもの」

 

 

私が自分自身に贈りたいたいもの。

 

それは、時間。

“休息時間”。

 

 

森に来たからといって

働くことを辞めたわけでもなく、

相変わらず机にかじり付いて執筆に明け暮れる日々。

 

Slow-life(スローライフ)とはかけ離れた

慌ただしいBusy-ife(ビジーライフ)を送り続けている。

別の名をWorkaholic(仕事中毒:ワーカホリック)。

 

物書きで食べていくということは

そうそう簡単ではない。

 

 

 

 

昔『TIME(タイム)』

(原題:In Time)という映画を観た。

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220204141506j:plain

 

『TIME』

そう遠くない未来、人類は遺伝子操作で25歳から年を取らなくなることが可能になった。人口過剰を防ぐため、通貨が時間となり、人々は自分の時間で日常品から贅沢品まで支払うこととなった。また、通行料も時間で支払う必要があるため貧困層の地域と富裕層の暮らす町は実質的に隔離されている。裕福な人、すなわち時間を十分に持っている人たちは永遠にも近い時間生きることができるが貧困層の人々は働くことでわずかな時間を給料として受け取り、生活していた。左腕に光る時間表示が0になるとき、人は命を落とす。自分の腕を上にして相手の腕をつかめば相手の持っている時間を奪い取ることができる。 一秒一秒が無駄にできなくなった世界で、スラム街で暮らす主人公は時間を奪うことで生活をしているマフィア集団から富裕層の男を救う。富裕層の男は自分の時間をすべて主人公が眠っている間に与え、置手紙を残して時間切れで死亡してしまう。主人公は117年という時間を手にするが、母親が不平等な社会の仕組みのせいで時間切れになり息絶えてしまう。復讐を誓った主人公はスラム街を飛び出し富裕層が集まる場所に行くのであった。――Wikipediaより

 

 

まぁ、ざっくりとこんな話だ。

まさに“Time is money”。

「時は金なり」を言葉のまま描いたもの。

 

 

この映画では腕に自分の持ち時間(命の時間)が表示されているのだが、

f:id:Shinya_Leyzi:20220204142122j:plain

 

この映画のように時間を他者に送受信できれば

ゆとりのある生活をすることも可能なのだろうか。

 

 

眠らない国として有名な日本。

日本は真夜中に女性がふらふらと街中を歩けるほど

治安が良い国でもあるが、

世界一時間外勤務が多く、

自殺者の多い国としても知られている。

 

ゆとり世代

“悟り世代”

“つくし世代”

色々な名前で括られる若者達。

優雅に聞こえるその名称の裏には

実際は昔よりも融通の効かない厳格な社会がある。

 

彼ら自体が元から“考えが甘い”

“やる気がない” のではない。

虐待を受けて育った子供が

自発力が少なく常に無気力で

思考することに乏しくなるように

彼らも厳格な社会の中で自我を保つために

“ゆるく考えそこそこに生きざる得なくなってしまった” のである。

そういった巡り巡った原因をあやふやにする社会に

私は疑問を持っている。

 

加えて、低い労働賃金。

働いても働いても

金銭的に苦しい生活。

 

 

こういったことを総合すると

時間の使い方をいくら工夫しても

社会システムが変わらなければ

ゆとりのある時間は訪れないのかもしれない。

 

 

時間的・金銭的にゆとりのない生活は

両極端な思考回路・人格を形成する。

 

両極端な思考回路の行く末は

いじめや誹謗中傷、差別といった

近年問題になっている事柄だ。

 

それが自殺大国を作り出し、

貴重な若者を死へと追いやっているのではないだろうか。

そして最終的に高齢社会が出来上がっていくのだ。

 

 

 

私は日本政府に対しとやかく言う気はない。

 

ただ、そういう社会の中に自分は生きている。

それを忘れたくはない。

 

そういった事柄に蓋をして

目を瞑り、見えないふりをして生きるということが

私はできない人間というだけである。

 

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220204171827j:plain

 

 

“時間”

それは限りがあるからこそ尊いものであり、

考えて使わなければならないものである。

 

時間は人生を作る。

人生は命を作る。

つまり時間と命は表裏一体なのかもしれない。

 

 

 

 

www.amazon.co.jp

鬼を追い出し、福を招く

今週のお題「鬼」

 

 

さて、はてなブログを初めて

初のはてなブログの『今週のお題』に挑む。

 

 

はてなブログによれば

 

あなたの鬼はどこから?
もうすぐ節分! 鬼は外・福は内と言ったりしますが、「鬼」って一体なにを指しているのでしょうか? 今年は、具体的に追い払いたいものをイメージしながら、豆をまいてみませんか。そこで今週は「鬼」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「今年、自分が追い払いたいこと」「鬼が笑うような未来のこと」「絶対勝ちたい『鬼勝負』」など、あなたの「鬼」にまつわる出来事を、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

 

とのことだが…

 

 

私にとっての“鬼”か。

 

それはおそらく『仕事』だろうか。

 

鬼のように明くる日も明くる日も書いているが

一向に終わりが見えないこの状況は

まさに鬼そのものではないだろうか、なんてな。

 

 

あとはなんだろうな。

人間が持つ偏見や差別だろうか。

思い込みや決めつけ…

そんなことで他人を傷つける人々。

 

他者の心を痛めつけ

死へと追い詰め

それに快感を感じる人間の心の中に

本当の鬼や悪魔がいるのかもしれないと時々考える。

 

 

 

ちなみになぜ節分に豆をまくのか。

昔は米・麦・粟・炭なども使われていたらしいが

大豆が主流になったのは、

豆を投げることで

「魔を滅する=魔滅(まめ)」からだとか。

まさに“鬼滅”。

そう言えばあれも人間が鬼と化していたな。

 

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220203124322j:plain

 

 

節分は年の数だけ豆を食うのが定番だが、

炒り豆ではいささか厳しい歳になってきたので

今年は甘煮豆かきな粉にして食すことにしよう。

 

 

 

 

古典文学を目で楽しむ

 

前回の映画の話しから。

 

shinya-leyzi.hatenablog.com

 

 

スリーピー・ホロウ』(原題:Sleepy Hollow)を鑑賞した。

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220126125114j:plain

 

何が最も印象的だったかというと

首切りのシーン。

 

かなりの数人間の首が落ちる。

 

まぁ、古典文学を元にしているとはいえ

ゴシック・ホラーだからな。

あまりリアルでなかったため何とかなったが

そうでなければ即終了ものだっただろう。

 

私はグロテスクなもの、

ホラーのみのものはまり好まない。

 

さて、内容だが

アメリカ映画にしては凝られていた方だと思う。

 

魔女狩り』のイメージをうまく匂わせ読者を誘導し、

犯人発見となり終わるのかと思いきや

どんでん返しからのオチ。

イギリス文学的なこの進み方は

アメリカ文学としては珍しい流れだった。

 

アメリカで知られる映画には

日本と違いオチがないものが多い。

正直アメリカ文学に精通していても

何を伝えたかったのかと

首を傾げて終わるものもよくある話しだ。

その点、この映画は評価できるであろう。

 

まぁ、最後の犯人との対峙の際は

なぜ犯人の逃げた方向へ一緒に逃げなかったのかなど疑問が残るが、

概ね良い内容だった。

 

この映画は

アメリカの小説家 Washington Irving(ワシントン・アーヴィング, 1783年-1859年)が

1820年に発表した短篇集

『スケッチ・ブック』(原題:The Sketch Book of Geoffrey Crayon, Gent.)の中の一篇

スリーピー・ホロウの伝説” (原題:The Legend of Sleepy Hollow)

モデルになっている。

 

同本に収録されている

リップ・ヴァン・ウィンクル” (原題:Rip Van Winkle) は

読んだことがあったのだが、

この物語は読んだことがなかった。

 

ちなみに“リップ・ヴァン・ウィンクル”は

アメリカ版の浦島太郎といったところだろうか。

心理学的視点からみれば、

アメリカ独立戦争からの心理学的回避としての

解離・遁走とも考えられる内容のもの。

 

 

19世紀のアメリカ文学は孤児や児童虐待など、暗い内容が多い。

また事件の捜査に科学的な手段を用いることも

この当時はまだまだ主流ではなかった。

疑われた人間が拷問によって

無理やり犯人にされることも少なくない、そんな世の中だったのだ。

 

「科学・化学を用いて事件を解決する」

スリーピー・ホロウ』の主人公イカボッド・クレーンの姿が

“異端”として描かれていることから

当時は科学というものが信じるに値しないもであり

人々の目に奇妙に写っていたのだろう。

 

この物語が書かれた当時

現代のような生活環境、

そして科学の発達した世界を誰が想像できたであろうか。

 

髪の毛や血痕、

指紋で犯人が解るようになるなんぞ

誰も想像もしなったであろう。

 

スリーピー・ホロウ』は

そう言ったその時代特有の皮肉を含んだ作品でもあるのだ。

 

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220201112506j:plain

 

ベーコン・小松菜・コーンの豆乳クリームパスタ。

乳製品不使用だが、コクのある味わい。

 

 

 

 

www.amazon.co.jp

〇〇始めました。

 

最近新たな趣味ができた。

 

元々映画鑑賞は好きだったのだが、

ただ鑑賞するだけでなく

中古のDVDを破格値で購入して観るという趣味だ。

 

ネットで映画鑑賞や映画のレンタルができる今日。

書籍等と同様に物理的なものは廃れていく傾向がある。

 

そこであえて物理的なものを購入して観るという

世間の風潮に逆らったことをしているわけだが

それもなぜかと言うと

ポケットWi-Fiでは映画のダウンロードが重すぎて

それだけで一日の制限を越えてしまうからだ。

それで物理的に購入して観るという方法を取らざるを得ないというわけである。

 

購入するにしても映画館で干渉するよりかは安いが、

それでもDVDは意外と値が張る。

そこで思いついたのが中古のDVDを購入するという案だった。

 

中古DVDも値段はピンキリだが

安いものだと100円を切りる。

 

そういうものを狙って鑑賞するのも

面白いのではないかということで始めた趣味である。

 

DVDは色々な吹き替えや字幕が入っているだけでなく

作成秘話なども収録されており

案外楽しめるのは嬉しい誤算だった。

 

 

さて、先日はジョニー・デップ&ティム・バートン

あの最強タッグが作り出した

ファンタジー・アドベンチャーの傑作

CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY

(日本題目:チャーリーとチョコレート工場)を鑑賞。

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220126125106j:plain

 

ジョニー・デップは撮影当時41歳ということだが

そうは見えない。

さすがカメレオン俳優。

 

ちなみに個人的にはこの映画では

私は真っ白のTelevision Roomと

Transparent elevatorのシーンが気にっている。

 

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220128125029j:plain

f:id:Shinya_Leyzi:20220128125110j:plain

 

 

ジョニー・デップ演じるウィリー・ウォンカはまさに

アダルトチルドレンという言葉を

そのまま具現化したかのようなキャラクター。

 

子供染みているその内面と

大人ぶった滑稽な話し方、

イギリス貴族を奮闘させる服装と

中世的な外見。

 

何となくオスカー・ワイルドを思い出すのは

私だけだろうか。

 

このギャップを生み出せる彼は

素晴らしい役者だ。

 

妻からDVを受けていたなど

ゴシップになることも多い彼だが、

ファンサービスが旺盛で

病に苦しむ子供たちを元気づけるために病院を訪問したり

娘の病気を治療した病院に巨額の寄付を行うなど

慈善活動を精力的に行っていることは

評価されるべき点だと個人的には思う。

 

それにしてもウォンカの奇抜さに対し、

工場を訪れる親子のキャラクターも

負けずと凄まじいキャラクターが揃っている。

 

チャーリーを除いて

この工場を訪れた子供たちは

将来的に違う形でのウォンカになるだろう。

つまり子供時代がないまま大人になり

アダルトチルドレンとなっていくのである。

 

そう言った点でも

この時代の流れを風刺する素晴らしい作品だ。

 

 

 

ワシントン・アーヴィングの小説『スリーピー・ホロウの伝説』を元に、

ティム・バートンが独自の脚色とストーリーを加えたホラー映画

『Sleepy Hollow

(日本題目:スリーピー・ホロウ)も購入してみたが、

さてどうなるか。

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220126125114j:plain

 

海外ではホラーコメディと言われているが

その辺りも含めて観てみようと思う。

 

 

 

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220126131831j:plain



モッツァレラ&ゴータブレンドチーズのせトマトパスタ。

トマトパスタに仕上げたはずが、

なぜかナポリタン風の味になっていた。

まぁ、そういう時もあるさ。

 

野菜のみで作ったトマトソースは

ベジタリアンの友人達に評判が良い。

 

さっぱりとした味わいは

胃もたれした腹に優しく

ヘルシーな一品。

 

 

 

 

*書籍一覧

www.amazon.co.jp

子供達への影響

 

新型コロナウイルス感染症

英語ではCOVID‑19。

 

2019年12月31日の昼ごろ初めて報道がなされ、

年明けの2020年1月15日に最初の感染者が確認された。

 

見る見るうちに感染が拡大し

私たちの日常は変化した。

 

不要不急の外出をしない。

手洗いうがい、マスク着用の徹底。

人と人との触れ合いは避けられた。

 

私は元々このような仕事の上

田舎に引っ越したため外出もほとんどしない。

人に会う率も都心に比べればとても低い。

 

コロナ禍に田舎へ引っ越すものも多いと聞く。

私もその一人になるのだろうが、

いわゆるコロナ疎開とは少々目的が違う。

 

それはブログの最初の投稿でも書いたことだが、

私は長年 人間に干渉されない自然豊かな森での生活を求めて

移住先を探してきた。

 

shinya-leyzi.hatenablog.com

 

そしてコロナ禍でこの狼森にたまたま出会ったわけだが、

近年はコロナから逃げるために田舎へ来る者も多いと聞く。

 

 

都心は外を歩くだけで人とすれ違う。

さすれば感染の可能性は捨てきれない。

しかし、田舎はどうだ。

私の森なんぞ人っ子一人歩いていない。

人とすれ違うことの方が稀だ。

 

明かりの少ない田舎は寂しいと言われていたが、

明かりが少ないということは人が少ないということでもある。

このご時世では

それが魅力となっているというのは滑稽な話だ。

 

 

ここ数年で私たちの考えは変わったのだろうか。

日常だったものが非日常となり

毎日報道される感染者数を見るたびに

死を身近に感じる日も増えたのではないだろうか。

 

最も大切なものはなんなのか。

人と人が触れ合わないということは

どんなことが起こりうるのか。

 

災害や震災が起こると、

数年後に子供への影響が出る。

私の元職種では珍しい話ではない。

実際にこの史上最悪の感染が姿を消し出した頃、

おそらくまた子供たちへの影響が出てくるだろう。

 

子供たちは時に大人よりも精神的に我慢強く賢い。

大人が弱音を吐き、愚痴をこぼす時に

子供は笑顔を作って大人を励ましてしまう。

大人が弱れば弱るほど、

子供たちは健気に強くあろうとする。

折れそうな大人を支える柱になってしまう。

 

これは自分の親が病気の時に

わざわざ親を落ち込ませるような言葉かけをしないと一緒だ。

子供は言葉をたくさん持っていない。

その分自分の気持ちを押し殺し

「いい子」になることで大人を助けようとしてしまう。

 

私はこのウイルスが蔓延することも危惧しているが

子供たちの精神面についても心配してる。

 

 

f:id:Shinya_Leyzi:20220120104051j:plain

 

今日の昼食はにんじん卵そぼろ炒め。

味は塩胡椒でシンプルに。

美味。

 

 

今日は大寒

一年で寒さが最も厳しくなるころとされている。

脆い身体に気を付けて参ろうか。

 

 

 

 

書籍一覧

www.amazon.co.jp